物価高・人手不足時代の病院経営、カギは医療管理会計 荒井耕・一橋大学教授に聞く

荒井耕・一橋大学教授

物価高や人手不足、診療報酬の抑制などを背景に、医療機関の経営環境は厳しさを増している。医療の質を維持しながら、限られた人材、設備、医薬品、医療材料をどう有効に活用するか。その判断を支える考え方として、病院経営を数字で見える化する「医療管理会計」への関心が高まっている。

一橋大学大学院経営管理研究科の荒井耕教授は、日本における医療・介護の管理会計研究を長年けん引してきた第一人者である。荒井教授に、医療管理会計の基本的な考え方、働き方改革やICT(情報通信技術)活用との関係、地域医療や公的医療保険制度の持続性での意義を聞いた。(取材:横山優二・シード・プランニング・シニアリサーチアナリスト)

数字を現場の行動に変える医療管理会計

――医療機関の管理会計に携わった経緯を教えてください。

荒井:一橋大学卒業後、富士総合研究所、現在のみずほリサーチ&テクノロジーズに就職し、厚生労働省の委託案件として、病院の原価計算に関する調査研究事業に携わったことがきっかけだ。当時は参考にできる先行研究がほとんどなく、調査方法や計算方法を一から検討する必要があった。苦労も多かったが、この経験を通じて、病院経営で会計の役割をより深く研究したいと考えるようになった。その後、大学院に進み、本格的に研究に取り組んだ。

――医療管理会計とは何か。

荒井:従来、管理会計とは、企業の経営者や管理職が経営判断や業績管理に活用するための社内向け会計のことだ。例えば、売り上げに対して、どれだけ利益が出ているかを分析したり、製品別やサービス別、あるいは部門(部署)別にどれだけ費用がかかり、また利益がでているかを計算したりする。

これを病院経営に応用するのが、医療管理会計になる。病院でも、診療科別、疾患別、治療・ケアの内容別に、収入と費用の状況を把握することがある。ただし、医療管理会計は単に数字を計算するための仕組みではない。病院の経営状況を分析し、目標を設定したうえで、その目標を達成するために現場で何をすべきかまで具体化することが重要だ。

例えば、一定の利益を確保するために外来患者数を増やす必要がある場合、単に「収益を上げる必要がある」と伝えるだけでは、現場の行動にはつながりにくい。そこで、「1日あたり外来患者をあと2人多く診る必要がある」といった具体的な行動目標を立てる。経営上の目標を日々の業務に結びつけることで、現場での改善につなげやすくなる。

また、医療管理会計で扱うのは収益や費用だけではない。患者満足度、医療の質、安全性、在院日数、職員の能力向上なども重要な管理対象になる。採算だけでなく、患者に提供する医療の質や職員の成長も含めて、病院運営を改善するための仕組みといえるだろう。

管理会計の活用による医療提供プロセス改善の全体像
管理会計の活用による医療提供プロセス改善の全体像

収入を増やしにくい時代、費用管理の重要性高まる

――医療管理会計にはどのような発展の歴史があるか。

荒井:私がこの領域の研究を始めた1990年代半ばには、日本の病院で「管理会計」という考え方はほとんど浸透していなかった。その後、2000年代に入ると一時的に関心が高まり、少しずつ導入が進み始めた。しかし、現在でも医療界全体に広く普及しているとは言いがたい。

一方、アメリカでは1970年代の時点で、診療科別の原価計算などが広く行われていた。医療制度や病院を取り巻く環境が異なるため単純な比較はできないが、管理会計の活用という点では日米の間に大きな開きがある。

近年、日本でも病院の管理会計の重要性は高まっている。背景には、病院経営を取り巻く環境の厳しさがある。診療報酬は継続的に抑制されており、病院が収入を大きく増やすことは難しい。一方で、物価高、医療従事者の処遇改善、高額な医療技術の登場などで、費用は増加しやすい状況にある。

だからこそ、病院は自院の財務状況を正確に把握し、診療科別、疾患別の収支を見ながら、費用を適切に管理していく必要がある。収入を増やす余地が限られる中では、より詳細なコスト構造を把握し、改善可能な部分を特定することが欠かせないだろう。

医療法人が病院運営だけではなく、介護老人保健施設、訪問看護、通所リハビリテーションなどに事業を広げるケースも増えている。事業が多角化すると、経営トップがすべてを直接管理することは難しくなる。

そうなると、各施設や各事業に一定の権限を委ねる必要がある。一方で、単に現場に任せるだけでは十分ではない。各施設や事業の状況を把握し、経営層が目指す方向に沿って運営されているかを確認することが必要だ。その仕組みとして、管理会計の重要性が高まっている。

病院ICT導入の費用対効果分析の枠組み
病院ICT導入の費用対効果分析の枠組み

ICTの効果は選定や導入後の運用で変わる

――直近では病院でのICT導入について研究されていますが、どのような内容か。

荒井:近年、病院ではさまざまなICTが導入されている。今回の研究では、その中でも、どのICTがどの程度の効果を生んでいるのかを、費用と業務時間の短縮効果の両面から検証した。

背景にあるのは、医師を中心とした医療従事者の働き方改革と、中長期的な人手不足への対応だ。これまで私は、医師の業務を他職種に移す「タスクシフト」の研究を行ってきた。これは医師の負担を減らし、医師不足に対応するために、どの業務を他職種に移すとどの程度の効果があるのかを明らかにする研究だ。

タスクシフトを進めるには、業務を引き受ける他職種側の余力が必要になる。ただ、看護師、薬剤師、事務職員などはすでに多忙で、単純に医師の業務を引き受けられるとは限らない。そこで重要になるのが、ICTの活用だ。医療従事者の業務の一部をICTに置き換えることで、業務効率化や生産性向上を進めることが期待される。今回の研究では、その判断材料として、ICTの費用対効果を明らかにした。

分析対象は、「電子問診」「音声入力」「RPA」「動画による患者への説明」の4種類。すでに多くの病院で普及している電子カルテなどは対象から外し、DPC対象病院への質問票調査において、導入率が2〜3割程度で、業務時間の短縮に役立つと評価されたICTを選んだ。

調査ではまず、それぞれのICTについて、導入時や運用段階で発生する費用、院内での準備や対応にかかる時間を調べた。次に、導入によって、どの業務がどれだけ短縮されたのかを検証した。さらに、短縮された時間を人件費に換算し、支出した費用に対してどれだけの効果があったのかを分析した。

その結果、最も費用対効果が高かったのは「音声入力」だった。これは、初期費用が比較的低く、導入に必要な手間も少ないことが影響していると考えられる。一方、「電子問診」は初期費用が大きく、導入時の負担も高いため、相対的には費用対効果は低かった。

ただ、この結果は単純に「音声入力は有効で、電子問診は有効ではない」と結論づけられるものではない。今回の調査では結果にばらつきがあり、音声入力でも費用対効果が低い病院や、電子問診でも費用対効果が高い病院があった。ICTの効果は、導入する技術だけで決まるわけではない。病院がどのように導入し、運用するかによって結果は大きく変わる。

例えば、導入したICTを利用する医師や患者の数、職員の慣れ、既存システムとの連携状況などによって、費用負担や時間短縮の効果は異なる。ICTは導入すれば自動的に効果が出るものではない。自院の業務フローに合わせて活用し、現場に定着させることが重要だ。

各種ICTの中央値でみる費用(経営負荷)対効果。電子問診はICT活用コストが回収できない一方で、他のICT種類は機器耐用年数以内にコストを回収可能。そのなかで音声入力が最も時短効果が高い
各種ICTの中央値でみる費用(経営負荷)対効果。電子問診はICT活用コストが回収できない一方で、他のICT種類は機器耐用年数以内にコストを回収可能。そのなかで音声入力が最も時短効果が高い

働き方改革で進むタスクシフトとICT活用

――近年の「医療従事者の働き方改革」は医療現場や経営にどのような影響を及ぼすか。

荒井:近年の働き方改革は、医療機関の人手不足をこれまで以上に顕在化させている。医療従事者の労働時間を見直す中で、現場が限られた人員で多くの業務を担っている実態が改めて浮き彫りになった。

一方で、働き方改革は人手不足への対策を後押しする要因にもなっている。足元でタスクシフトやICT導入が進んでいるのは、現場の危機感の高まりが影響しているからだろう。

今後さらに人手不足が進んだ場合、タスクシフトやICT活用によって病院全体の総労働時間を短縮できても、医師や医療従事者の数がそれ以上のペースで減少すれば、一人当たりの労働時間は大きく短縮しない可能性がある。だから、2040年に向けて人手不足が深刻化することを見据え、業務効率化をより本格的に進める必要がある。

研究では、ICT導入には短期的に費用負担が生じるものの、ICTの選定、導入時の設計、運用方法を丁寧に検討すれば、中期的には経営上の効果が期待できることも示している。またICTによって短縮された時間を活用し、より多くの患者に医療サービスを提供できれば、収益向上につながることも考えられる。

地域の役割分担が投資の重複を防ぐ

――物価高や人材難のなかで、病院経営において重要なことは。

荒井:物価高は、診療報酬制度上の課題も大きい。医療機関は自由に価格を上げられないため、一般企業のようにコスト増をそのまま売り上げに転嫁することは難しい。その中で費用を抑えるには、医薬品や医療材料の標準化、共同購入などによる調達価格の抑制、使用量の適正化などが重要になる。

人手不足に対しては、タスクシフトとICT活用が重要になる。例えば、医師から看護師、薬剤師、事務職員など他職種へ業務を移すこと、看護師から看護助手へ一部業務を移すことなどが考えられる。限られた人材を有効に活用するためには、専門職でなければ担えない業務と、他職種やICTで対応できる業務を整理する必要がある。

地域によっては、今後、医療需要の縮小も大きな課題になる。人口減少が進む地域で、病院が従来と同じように幅広い医療機能を維持しようとすれば、限られた患者を地域内で取り合うことになりかねない。その結果、高額な医療技術や医療機器への重複投資が生じ、病院経営を圧迫する可能性がある。

こうした状況に対応するには、地域医療構想への積極的な参画が重要だ。地域内の医療機関が、どの役割を担うのかを明確にすれば、自院が重点的に担う医療機能に合わせて投資範囲や投資規模を絞れる。不要な投資を抑え、費用負担を軽減しやすくなる。

さらに、地域内の医療機関同士が互いの機能を理解し、それぞれの役割に合った患者を紹介し合う関係を築くことも重要だ。自院が担う医療機能に合った患者が適切に紹介されれば、投資した設備の稼働率や回転率が高まり、採算性向上につながる。病院単独で経営を考えるのではなく、地域全体の中で自院の役割を明確にすることが、今後の病院経営では一層重要になるだろう。

医療管理会計は医療保険制度の持続性を支える

――医療管理会計は社会全体にどのような影響があるか。

荒井:管理会計の活用は、個々の医療機関の経営を安定させるだけでなく、地域医療や公的医療保険制度の持続性にも関わる重要な取り組みだ。

医療資源には限りがある。人材、設備、医薬品、医療材料などをどのように使うかを医療機関が適切に判断することは、自院の経営改善に直結する。同時に、それぞれの医療機関が限られた資源を有効に活用できれば、地域全体としても医療提供体制を維持しやすくなる。病院の一つひとつの経営改善の積み重ねが、地域医療の持続性を支えることにつながる。

また、医療の質を維持しながら採算性を改善することは、公的医療保険制度の持続性にも関係する。医療機関が効率的に医療サービスを提供できれば、診療報酬を過度に引き上げなくても、継続的な医療提供や新しい医療技術への対応がしやすくなる。これは、医療機関だけでなく、保険料や税によって医療制度を支える国民全体にとっても重要な意味を持つ。医療費の増加や国の財政負担への関心が高まる中で、医療管理会計の重要性は今後一層高まっていくだろう。

荒井耕(あらい・こう)
一橋大学大学院経営管理研究科教授。博士(商学)。専門は管理会計、原価計算。特に、医療機関や介護組織など、非営利・公共性の高い組織における管理会計を研究している。病院原価計算、医療機関の業績管理、バランスト・スコアカード、医療法人の多角化経営、医療現場におけるICT導入の費用対効果などが主な研究テーマ。厚生労働省の中央社会保険医療協議会委員なども歴任し、診療報酬制度を含む医療政策の議論にも関わってきた。