Craifが切り拓くバイオAI最前線 尿中マイクロRNAで挑む早期がん検出

小野瀨 隆一・Craif代表取締役(CEO)

近年、生命科学とAI(人工知能)を統合した「バイオAI」が国内外で急速に注目を集めている。創薬開発の複雑化、医療費増大、エビデンス要求の高度化といった医療課題が深まるなか、精度の高いバイオデータをいかに生成し、AI解析につなげるかが国際競争力を左右する要素となりつつある。

バイオAIの潮流を概観するとともに、尿中マイクロRNA(リボ核酸)解析を基盤に早期がん検出へ挑むCraif(クライフ)の取り組みを取り上げる。体液由来の微量な核酸情報を高精度に捉える独自技術「NANO-IP」を軸に、同社がどのようにデータ品質、ラボ運用、AI解析を統合し、診断技術の実装を進めているのかを紹介する。(医療テックニュース編集部 編集長 米谷知子)

医療課題の複雑化とバイオAIの必要性

製薬・バイオテック産業が直面する課題は年々重層化している。開発が容易な創薬標的の多くがすでに開発され、近年は希少疾患などの創薬が難しい領域への挑戦が中心となっている。結果として、創薬開発のコストは高騰し、臨床開発の効率化と加速化が強く求められている。

さらに、医療費増加で新薬を保険収載するためのエビデンス要求も厳格化しており、十分な裏付けがなければ医療現場に届けることは難しくなっている。

こうした背景のなかで注目されているのが、生命科学とAIを統合する「バイオAI」だ。診断、創薬、臨床開発にまたがるバイオデータを高度に解析し、新たな医療的価値を創出する枠組みとして、近年急速に存在感を高めている。

自らデータを生み出すバイオAIの新潮流

バイオAIの分野では、価値創造のあり方が大きく変わりつつある。従来は、既存の臨床データやバイオバンクのデータを利用する取り組みが中心だった。これらのデータは測定条件や取得目的が異なり、AIの学習には最適化されていない場合が多かった。そのため、機械学習に適したデータを自ら設計し、取得し、解析する動きが活発化している。

バイオAIは、機械学習に最適化するため、各社が独自に設計したデータパイプラインでノイズ除去などの処理をしたバイオデータを基盤にAIアルゴリズムを構築し、健康・医療の領域で新たな価値の創出を目指す産業領域と定義される。

そして、バイオデータを機械学習に適切に活用するためには、生物ならではの揺らぎや、サンプルの状態、測定条件、手技の違いなどに由来するノイズを適切に処理することで、品質を保つことが重要だ。そのためには、単に大量のデータを収集すればよいわけではなく、深いバイオロジーの理解と、精密な測定プロセスの設計が求められる。

バイオAIの定義(Craif提供)
バイオAIの定義(Craif提供)

海外企業の取り組みはこの潮流を象徴している。例えば、米国のGrail(グレイル)は、がんが血液中に放出する「ctDNA(血中に流れる腫瘍由来DNA)」の特徴的な変化を解析することで、がんの有無や種類を推定する技術を開発している。特に、DNAの表面に付く「メチル化」という化学的な印(エピゲノム情報)に注目し、そのパターンを大規模データとして収集してAIに学習させることで、高精度な早期がん検出を目指している。

Recursion(リカージョン)は創薬AIを代表する企業の一つだ。同社は細胞実験のプロセスを自動化し、細胞に化合物を作用させた時の変化を顕微鏡画像として取得し、AI に学習させる仕組みを整備した。自社で大量・均質な実験データを生成できる点が特長で、AI 解析に適したデータ基盤をもとに新たな創薬候補の探索を進めている。

さらに、自動化実験で得たデータに加えて、提携企業から提供される臨床データやゲノムデータを統合することで、AI予測モデルの精度を高めている。AIの予測結果は再び実験工程へフィードバックされ、データ生成と解析が循環しながら高度化していく。この仕組みにより、創薬研究の効率と成功確率を高める手法を実現している。

両者に共通するのは、データの質を自ら設計し、生成し、AIに学習させるというバイオAI企業の特長を体現している点にある。

これまでの技術との差異(Craif提供)
これまでの技術との差異(Craif提供)

尿中マイクロRNAとAI解析によるCraifの独自アプローチ

こうした国際潮流の中で、日本のCraif(クライフ)は、体液に含まれる微量な核酸情報を手がかりに、早期がんを検出するという難易度の高い領域に取り組んでいる。同社が着目する「マイクロRNA」は、がんのごく初期段階から変化を示すことが知られており、尿から非侵襲的に取得できる。

Craifが独自に開発した「NANO-IP」は、尿などの体液に含まれるDNAやRNAといったバイオシグナル(生体由来のシグナル)を、高精度に解析できる技術基盤である。核酸は細胞の状態を反映する分子で、とくにマイクロRNAは、がんの初期段階から変化を示すことが知られている。

体液中には「エクソソーム」と呼ばれる微小なカプセルがあり、その内部には細胞から放出されたマイクロRNAが含まれている。「NANO-IP」は、こうした微量なシグナルを逃さず抽出するノウハウと、次世代シーケンサーを使った核酸解析、AIを使ったデータ解析を一体化したプラットホームだ。

この基盤技術を応用した検査サービス「マイシグナル」はすでに提供が始まっており、膵臓(すいぞう)がんをはじめとする10種のがんリスクを非侵襲的に評価できる検査として利用されている。一方で、研究開発の領域では、「NANO-IP」と大規模なデータ解析を組み合わせることで、より広範な疾患領域への応用やアルゴリズムの高度化が進んでいる。

蓄積された約5万件の臨床検体データをもとに、尿中マイクロRNAのバイオマーカーに特化した世界最大級のデータベースを構築していることも Craif の強みになっている。こうしたデータ基盤が、今後の早期診断技術や個別化医療への展開を支える重要な土台となる。

Craifのバイオマーカー解析基盤「NANO-IP」
Craifのバイオマーカー解析基盤「NANO-IP」

データ品質を支える「デジタルクリニカルラボ」

バイオAIの成否は、データそのものの質に大きく左右される。Craifはこの基盤として、中部検査センターに高度にデジタル化された検査ラボを構築した。ここでは、検体の受領からRNA抽出、次世代シーケンサーの測定、結果の作成まで、複雑な工程を標準化し、一元管理する仕組みを整えた。

検査工程では、進捗や記録をすべてシステムで管理し、チェック項目をクリアしない限り、次の工程に進めないよう設計した。試薬ロット、機器の利用履歴、温度管理なども自動記録されるため、ヒューマンエラーのリスクを最小化しながら、一貫したデータ品質を担保できる。加えて、多くの工程を自動化し、数万件規模の検体処理にも対応可能にした。

この取り組みは運用面でも成果を生んでおり、Craifの検査ラボは開設以来、厚生労働省が定める指導監督基準に基づく外部監査で4年連続指摘事項なしを継続している。こうした環境整備により、検査員は記録業務に追われることなく、検査そのものに集中できる運用体制を実現している。

Craifは、同社のラボ運営を支えるデジタル化の仕組みを自社専用とせず、研究機関や医療機関でも活用できるシステムを展開する構想を抱く。来年には初めてのシステム提供を予定しており、医療現場の業務改善に役立つ可能性がある。

研究開発体制(Craif提供)
研究開発体制(Craif提供)

社会実装を見据えたプロダクト開発と海外戦略

Craifの主力製品である「マイシグナル・スキャン」は、尿中マイクロRNAを解析し複数のがんリスクを可視化する検査だ。2025年4月時点で、10種類のがん(食道・胃・すい臓・肺・大腸・卵巣・乳房・腎臓・膀胱・前立腺)に対応している。同社は研究開発を目的化せず、実際に社会で利用される“出口”まで見据えた開発体制を敷いている。そのために研究者と事業開発チームが早期から連携している。

海外展開で同社が最初にターゲットとするのは膵臓がんだ。膵臓がんは早期発見が極めて難しく、既存検査の腫瘍マーカーではステージ1・2の検出率は約37%という。一方で Craifの尿マイクロRNA解析は、同ステージで93%の精度を示すデータを公表しており、非侵襲的で簡便な尿検査を基盤とする点も普及可能性が高い。同社は2028年の米国メディケア保険償還獲得を目指し、がん早期発見領域での事業展開を進めている。

尿がん検査「マイシグナル・スキャン」の仕組み(Craif提供)
尿がん検査「マイシグナル・スキャン」の仕組み(Craif提供)

リキッドバイオプシーの転換期と新たな優位性

近年、世界的に「リキッドバイオプシー(血液や尿など体液に含まれる腫瘍由来の成分を解析し、疾病の早期発見や診断などに活用する手法)」は、身体への負担が少ない次世代の診断技術として期待されてきた。

しかし、米国で主流であった血液中のDNAを分析してがんの有無や種類を推定する手法は、がんがごく早期の段階では血液中に腫瘍由来DNAがほとんど流れ出ないため、検出精度に限界があることが明らかとなり、世界的に技術の転換期を迎えている。

こうしたなかで、尿に含まれるマイクロRNAという異なる種類のバイオマーカーを使い、非侵襲的な検体で早期がんを検出しようとする Craif のアプローチは、日本発でリキッドバイオプシーの新たな可能性を示す取り組みとして注目されている。

一方で、日本では、バイオAIに必要な制度、教育、産業基盤が欧米と比べて整備途上にあり、いわゆる「イノベーションラグ」が指摘されている。特に、バイオを理解した上でAIの専門性を身につける人材育成は喫緊の課題だ。医療・バイオ分野の現場力をどのように社会実装につなげるかが今後の競争力を左右する。

バイオAIで日本の強みを生かす

バイオAIの基盤となるのは、信頼性の高いバイオデータを継続的に生み出す運用力である。ここには緻密さや責任感、標準化を徹底する力が求められ、これは多くの医療従事者が日々の臨床現場で培っている姿勢にも通じる。日本の医療人材や研究者が持つ丁寧さや正確性は、バイオAIの発展で大きな強みになりうる。

Craif の取り組みは、日本の強みを生かしながら国際市場に挑む手本となる。同社が掲げる「バイオAIを日本発の産業として確立する」という構想は、単なる企業戦略にとどまらず、日本の医療産業全体に新しい選択肢を提示する。バイオデータを正確に扱う文化とAI技術を組み合わせた取り組みが広がることで、日本の医療で新しい価値創出が期待される。