【DTx対談】治療用アプリで食事療法に変革を起こす
京都大学とaskenの特定臨床研究を通じた共同開発
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(左から)京都大学医学部付属病院 先端医療研究開発機構 池田香織氏と、松尾恵太郎氏・asken医療事業部部長・法人事業部長
医療におけるデジタルトランスフォーメーション「医療DX」が推進され、全国の医療機関では電子カルテをはじめ診療の業務フローにさまざまなデジタルサービスが組み込まれている。このデジタル化の流れの中で、注目が集まる「デジタル治療(DTx:デジタルセラピューティクス)」を聞いたことはあるだろうか。DTxは、疾患の予防や管理、または治療を目的としたデジタル製品で、プログラム医療機器(SaMD:医療機器としての目的性を有するソフトウェア)のひとつとされている。国内でも新たな治療の選択肢としてDTxへの期待が高まっており、デジタル治療に関するサービス開発や治験が進んでいる。
今回は、治療用アプリの食事療法への活用をテーマに取り組む、京都大学の池田先生とAI(人工知能)食事管理アプリ『あすけん』を提供するaskenの松尾氏に話をうかがった。医療現場における治療用アプリの活用について、特定臨床研究を経て医療現場に適する治療用アプリの開発の裏側にせまった。(取材:医療テックニュース編集部 采本麻衣)
治療用アプリで、“楽しみながら食事を良い方向に変えていく”食事療法の実現に取り組む
――ヘルスケアアプリ事業者であるaskenと池田先生の出会いは?
松尾:当社では、AI食事管理アプリ『あすけん』を提供しています。「管理栄養士のノウハウをDX化し、より多くの人に届けたい」という思いから開発したアプリで、食事記録から、カロリーや14種類(※)の栄養素の過不足が一目でわかり、管理栄養士監修の食生活改善に向けたアドバイスなどが得られます。
※あすけんダイエット基本コースの場合。食事アドバイスコースによって表示される種類は異なる。
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2019年頃に、「このアプリを運用する中で培ったノウハウを、食事療法が必要な疾患の治療へ役立てたい」と考え、パートナーの先生を探していました。そのような中、当時の担当者が学会で京都大学の先生の講演を聴き、栄養指導に関する考え方に感銘を受けて、お声がけしたのがきっかけです。
池田:当時、医学部附属病院の疾患栄養治療部の先生へお声がけいただきましたが、私が糖尿病と栄養の研究をしていた関係から、共同研究のお話をいただきました。2021年には、糖尿病の治療における食事療法に最適化した栄養食事指導を補助するアプリ「あすけん医療システム」のプロトタイプをaskenと共同開発しました。
研究・開発は、日本医療研究開発機構(AMED)の令和3年度「医療機器等における先進的研究開発・開発体制強靭化事業 健康・医療情報活用技術開発課題」に採択され、「食事療法の計画・実行支援AIプログラムによりPHR(パーソナル・ヘルス・レコード)・EHR(電子健康記録)を糖尿病重症化予防医療に活用する仕組みの研究開発」として、特定臨床研究も実施しています。
松尾:この取り組みは、AMEDの令和3年度 「医工連携イノベーション推進事業(開発・事業化事業)」にも採択され、「糖尿病の個別化栄養治療を支援する新医療機器プログラムの開発・事業化」として、「あすけん医療システム」の早期市場投入に向けて、当社がAMEDから伴走コンサルティングを受けながら、事業化に必要な課題解決などの取り組みも行いました。
医療現場で安全に使えるアプリの構築
――共同開発における取り組みの内容を教えてください。
池田:食事療法では、病院の管理栄養士が患者さんの「いつ、何を、どれだけ食べているか」の記録を正確に評価し栄養食事指導を行いますが、日常の食事は患者さんのセルフケアに依存する部分が大きい一方で、医療従事者のリソースも限られているため、患者さん個人へのフォローや、限られた時間で正確な情報を収集することにも限界があります。
そこで、askenが提供する一般ユーザー向けのアプリ『あすけん』の良い部分を活用しつつ、医療現場で安全に使用できるものを作りたいと考えました。医療現場に即した仕様になるよう、まずはasken所属の管理栄養士と、京大病院の医師、管理栄養士でプログラムの中身を相談して、医療の治療方針に合致させるために、どのような機能を上乗せする必要があるか検討しました。
最も大きく改修した点は、食事療法の枠組みの中で、患者さん個別の必要な栄養量に合致する設定にしたことです。アドバイスも医療で推奨されるガイドラインに準拠するようにしました。また、医療従事者が操作する管理画面も新たに追加しています。医療従事者が短時間で設定できるように、いかにクリック数やスクロールを減らすかなどについて、askenには研究の前段階から医療現場の意見を取り入れていただき、短期間で開発していただきました。
特定臨床研究にご参加いただいた患者さんが、実際にアプリを活用してくださった際のさまざまなお声から、改修に必要なポイントも把握できました。
――医療機関向けのアプリを開発する中で大変だったことは?
松尾:医療現場で活用するアプリを開発するにあたり、当初想定していた以上に、利用者側にとってのハードルがありました。例えば、アップルのアプリストア「App Store(アップストア)」の閲覧方法や、アカウントの「Apple ID」が分からないなど、一般のユーザー向けのアプリでは問題にならなかった使い勝手の部分も工夫が必要でした。
池田:そもそもアプリをダウンロードする方法から丁寧な説明が必要でした。特定臨床研究では研究のためのリソースを充てて対応できましたが、限られた診療時間の中で、医療従事者がアプリ導入から使用方法まで手取り足取り説明するのは難しい。実際に、AMEDの専門家の先生方からもアプリを使用するための支援は誰ができるのかという意見はありました。
一般ユーザー向けの『あすけん』では、ユーザーが自ら進んでアプリをダウンロードして使用しますが、病院では医療従事者から勧められて使用するため、画面の仕様や操作方法にもう一段階上の分かりやすさが求められたのです。
治療用アプリの医療現場への活用には、徹底的な調査で課題の解像度を高めることが必要
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――取り組みを通じてどのような実態や課題が見えましたか?
松尾:特定臨床研究における医療従事者や患者さんの反応から『あすけん』アプリの改修の必要性が訴えられました。それを受けて、患者さんや医師が何に困っていて、アプリでどう解決できるのか、課題の解像度を高めることが何よりも重要であると考え、徹底的に調査を行いました。具体的には、糖尿病専門医を中心に、全国の医療機関の医師や管理栄養士、患者さんを対象に最終的には73件のインタビューを実施しました。
その結果、栄養食事指導における医療機関側のリソースが極めて限られていることが改めて浮き彫りになりました。保険診療における栄養食事指導は、初回30分、2回目以降20分の枠組みがありますが、この時間内に患者さんの食事状況を聞き取り、内容を解釈し、個別化したアドバイスを行うのは至難の業です。
そのサポートとして医療機関独自で使用する冊子などのツールはありますが、それだけでは不足していることが確認できました。また、治療の方針も、食事指導に強い思いを持つ先生でなければ、食事指導そのものをあきらめ、薬物治療のみが実施されているケースもあることが明らかになりました。
池田:適切な食事療法と同じ効果がある薬はありませんが、例えば血圧のように薬の選択肢がある場合はそちらを出すことになりがちだと思います。特定臨床研究では、被験者全員が意図通りに使用できなかった点も課題でした。忙しさのために入力が途絶える若い方や、アプリに慣れず上手く使用できない高齢の方など、誰が使った場合でも医療従事者側が想定した通り使えるものにできるかも大きなポイントといえます。
――取り組みや特定臨床研究を通じて分かったDTxの普及に向けたポイントは?
松尾:開発のポイントとしては、臨床現場の徹底的なニーズの把握が挙げられます。医療従事者や患者さんに実際に使ってもらい、意見を聞くことで分かったニーズや課題が多数ありました。
池田:現状、DTxが薬事承認されてもビジネスとして成り立つかという観点も必要だと思います。先進的と言われるアメリカの様子をみていても、DTxの成功例は多くはありません。医療現場で提供するからには、持続可能な形にすることが大きな課題であり重要なポイントだと思います。また、医療機関によっては診察室のWi-Fi環境などが十分ではない実情もあります。
松尾:先行しているDTxの多くが診療所で導入されていますが、基幹病院では院内のインターネット環境やシステムに課題があり導入できない話もあるようです。あくまでもこれは一例ですが、DTx普及のためには業界全体の課題も多く存在しており、業界団体を通じて解決に取り組むことが重要と考えます。
デジタル医療産業の発展に取り組む、日本デジタルヘルス・アライアンス(JaDHA)
――業界全体の課題に対する取り組みにはどのようなものがあるのでしょうか。
松尾:当社では、日本デジタルヘルス・アライアンス(JaDHA)に加入しており、業界全体の課題について議論し、円滑なDTxの利活用を促すための検討も行っています。
![デジタルヘルスに関わる約100社の企業で構成する業界団体「日本デジタルヘルス・アライアンス(JaDHA)」](https://medicaltech-news.com/wp-content/uploads/2025/01/250128asken3-2.jpg)
――日本デジタルヘルス・アライアンスは、どのような団体なのですか。
松尾:日本デジタルヘルス・アライアンスは、デジタルヘルスに関わる多様な属性の企業約100社で構成される業界団体です。各企業や業界の利害を超えてデジタルヘルス産業の発展に貢献することを目的に活動しており、4つのワーキンググループが設置されています。
これまでの活動では、各ワーキンググループでの議論や検討結果をもとに、報告書の作成や国の検討会での提言、市場の実態調査も実施してきました。直近の2024年10月には、米国の「デジタルセラピューティクス・アライアンス(DTA)」とDTxの普及促進を図る国際的な協働を開始しており、2030年に向けてDTxが社会実装されたとした場合の医療提供体制のあるべき姿について、より一層活発に議論を進め、団体内外への情報発信も活発に行う予定です。
取り組みの一部はホームページで公開しており、直近では、「健康経営の促進に向けた産業医のデジタルヘルスサービスの 利活用意向に関する実態調査」の結果や、「デジタルへルスケアサービスの利活用促進に向けた基本的方針」を公開しています。
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松尾:当社は、「(WG03)デジタル医療サービスの円滑な利活用に向けた基幹プラットフォーム構築検討WG」でリーダー企業を担当しており、2024年度は大きく2つの取り組みを行っています。
1つ目は、医療機関におけるDTxの円滑な利活用に向けたあるべき姿を提言することです。特に、複数のDTx製品が市場に出てきた時、それぞれ別のワークフローが発生すると導入や運用が複雑になり、ユーザーである医療機関に大きな負担を強いることにもなりかねません。
このため、医療機関がどのようなワークフローで使用すると円滑に使いやすいのかなど、課題を議論し、あるべき姿を検討します。2つ目はDTxに対する認知形成です。現状では市場に出ている製品が少なく、医療従事者や生活者からの認知度が低いため、業界を挙げて改善する必要があると考えています。
また、デジタル化が進む現代社会においてデジタルヘルスサービスが健全に普及するためには、サービスを利用する一般生活者が適切に健康情報を使いこなすことが重要であると考えています。私たちは社会のデジタルヘルスリテラシー向上に向けた取り組みを通じて健康増進に寄与することを目指しています。
デジタル治療で、薬物療法以外の治療の選択肢を広げる
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――特定臨床研究を通じて明らかになった効果や期待はどのようなものがありますか。
池田:DTxは、患者さんが病院にいない時間へのアプローチに効果的だと考えられます。特定臨床研究に参加した患者さんの中には、これまで食事指導が必要と言われながらもできなかった人が、『あすけん』アプリを通じて別の角度から自分の食生活を振り返ることができ、主治医から見ても食事療法への取り組みが変化したという行動変容が可視化された方もいました。
また、食事療法における患者さんのQOL(生活の質)向上も期待されます。例えば、過去には1型糖尿病をもつ方に対して、先に決められたインスリンの投与量に合わせて食事をするというように、薬物に食事を合わせる時代もありました。
ただ、食事をすることも人生の楽しみの1つであり、食事療法を進める中で「その人自身がその日に何を食べたいか」は大事だと思います。食べたいものを食べるために、治療を食事に合わせるには、診察室での診療だけでは追い付きません。アプリを使って各食事の栄養量を評価でき、さらに1日をトータルで見た時に、食べたいものを食べるために推奨される食事量や、食べ合わせ、献立を教えてくれるものがあれば、ストレスの少ない食事療法が進められると思います。
管理栄養士側では、アプリを使用した指導を行った際の自己評価における「個別化した指導ができた」のポイントが高く出た結果もあります。指導側が1人の患者さんにかけることができるリソースが限られている中、指導時間を有効に活用する方法が得られると、医療従事者側のモチベーションや指導技術の進歩にもつながるのではないでしょうか。
――事業者としてDTxへの期待を教えてください。
松尾:医療業界全体のデジタル化には大きな可能性を感じています。少子高齢化や医療の地域格差といったマクロ環境の課題に加え、多様化する医療ニーズに対応する中で、DTxは新たな治療の選択肢として貢献できるのではないでしょうか。
DTxは、患者さんへの新たな治療の提供だけでなく、医療従事者の業務効率化にも寄与する可能性があります。さらに、医療機関にとっては、DTxを活用することで通院患者さんにより新たな価値を提供できるだけでなく、ほかの病院やクリニックとの差別化を図り、医療機関としての価値向上にもつながるのではないかと考えます。
また、事業者目線で市場を見てみると、政府の骨太の方針に記載されているように、国がDTxを含めたSaMDの早期市場投入を支援していることが重要であると考えています。この動きに呼応する形で事業者も臨床研究に取り組んでいます。現在、20製品前後が治験中と考えられており、順調に進めば2030年頃までに順次発売される可能性があり、市場の活性化が期待されています。
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当社としては、既に一般消費者向けに提供しているアプリ『あすけん』を通じて「楽しみながら食事をいい方向に変えていく」支援ができていることに誇りを持っています。ぜひこのノウハウを医療現場にも生かしていきたいと考えています。
――DTxの効果が期待されるのはどのような分野ですか。
池田:薬で解決できない領域こそ、新たな解決策をもたらしてほしいと思います。特に、食事管理は薬での介入には限界がありますので、糖尿病のほかに消化器疾患など、食事が治療に大きく影響する疾患で特に期待したいです。
松尾:業界動向としては、認知行動療法のデジタル化や独自ビデオゲームの活用、ニューロフィードバックなど、多彩なアプローチでDTxの開発が行われています。今後はAIを活用した予測・介入についても研究が進むのではないでしょうか。
――医療のデジタル化、DTxの普及をどうみていますか。
池田:今回の特定臨床研究や開発の方針としては、まず、管理栄養士がいる医療機関で、その栄養指導をいかにサポートするかという観点で始めましたが、管理栄養士が配置されていない医療機関の患者さんにどこまで栄養指導を届けられるかという、さらに大きなニーズがあるのも事実です。
これまでも食事療法は重要とされてきましたが、まだまだエビデンス(科学的根拠)が不足しています。アプリを通じて食事療法の効果についてエビデンスを出せるのではないかと期待しています。個別化された実効性の高い食事療法が届けられる手段になってほしいです。
松尾:DTxは現在、新たな産業が誕生しようとしている段階にあります。この新しい治療の選択肢を医療現場に適切に届けるためには、各企業が臨床現場のアンメットニーズ(まだ満たされていない患者ニーズ)を解決する製品を開発することに加え、円滑な利活用を促進する仕組みを構築することが重要です。
その過程では、企業単独では解決が難しい課題も生じると考えます。このような課題に対しては、業界団体などの活動を通じて企業の枠を超えた連携と協力を図りながら産業基盤を構築することが、DTxの普及とさらなる発展につながると考えます。(敬称略)